ジェット機を買う男より、人の命を救える人がかっこいい
男・尾畠春夫さん
子を持つ親として、心配していた2歳の行方不明事件。
尾畠春夫さんの記事を読んで本当に涙しました。
理稀君を発見した尾畠さん、なんと彼は、日本の国難とよばれる地区へも、まっさきに出向く男の中の漢でした。
全国を飛び回って、ボランティア歴は20年以上だそうです。
元々大分県別府市で鮮魚店を営んでおり、40歳の時に登山を開始。
58歳で北アルプスの55山を単独制覇。
その後、ボランティアで由布岳の登山道を整備するために月に7~8回ほど、40kもの資材を担いで整備にあたり、案内板などの設置を行っています。
大分県からは、登山道整備活動において、「作戦功労者」として表彰されています。
2004年の新潟県中越地震でもボランティア活動に参加し、その際は「師匠」と呼ばれていたとか。
66歳で、地元で惜しまれながら、本業の鮮魚店を引退。
2006年4月1日に鹿児島県から北海道まで日本列島を徒歩で横断する旅に出掛け、同年7月1日に3ヶ月かけて約3000キロを歩き制覇。
そして、2011年の東日本大震災では、宮城県で瓦礫の中から、アルバムなどを探す活動である「思い出探し隊」の「隊長」として活動。
400日以上、宮城で活動しました。
2015年の東日本豪雨、2016年の熊本地震でも、すぐさま現地入りして、地域の為、ボランティアに参加されています。
そして今回も、彼の姿が。
ニュースを聞いて、「幼い子どもの命を助けてあげたいと思って」と。軽自動車に乗り込んで単身、大分から来た尾畠さん。
自宅に「子供を助けに行ってきます」と張り紙だけを残して出掛けたのだとか。
この世間はお盆の真っ只中の、猛暑の時に・・
自宅からは、車で5時間の道のりだそうです。
夜は、迷惑がかからないように、現場近くで軽で車中泊し、朝「理稀君に会える気がする」と、見つけた時にあげる、飴を持って、1人で山に入りました。
ご家族に対して「私が抱きしめて直にお渡しします」という約束を残して・・
「子供は、どんどん上にあがるのが習性だから」と、誰も探していない「上の方」をさがして20分で発見!!
我が家にも、甘ったれの3才児がいますが、ちょっと嫁ちゃんの姿が見えなくなっただけでめそめそしてるのに、3日間、暗い山の中で怖かったろうに・・
「おいちゃん、ここ」って声を掛けた時。おいちゃんに抱きしめられた時、力いっぱい抱きしめ返したらしいんです。
理稀君、うれしかっただろうな。ホッとしただろうな、、ってその場面をおもったら・・涙が込み上げてきました。
尾畠さんが(ボランティアで)来てくれなかったら、見つかっていない可能性の方が高い。と考えると、余計に尾畠さんの行動に涙が出ます。
発見し下山後・・
警察が、「理稀君をこちらへ」って言っても、「イヤです」と、「ご家族に直にお渡しします」の約束を守るため、かたくなに、理稀君を渡さなかったそうです。
「罪になっても構わない」
「大臣が何を言おうが関係ない」
口約束も約束!と、自分は約束を守るだけ。
約束通り、ご家族の元へ理稀君を渡した際、自宅に招かれるも、「もう帰ります」と断り。
謝礼はもちろん、お風呂も、食事も、「そんなことされたらボランティアの意味がない」ときっぱり。
「水道の水ならもらうけど」それ以外は頂くことはできないと、言ったそうです。
バスタオルをとって、子供の顔を見た時の、お母さんの嬉しい顔をは一緒は離れない・・
「おおきな心でそだててあげてください。」と家を後にしたんですって。
何もしないで祈るだけ、思うだけじゃ何も変わらない、行動しろって事・・
こんな人が、この日本にいるってことが嬉しいし、自分も、なにか人の為にできるよう生きたいと思いました。
「『かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め』。人の命は地球より重い」
「特別なことじゃない、困ってる人に手を差し伸べるのは当たり前」
平成最後の国民栄誉賞は、この人だろう~
だって、もう呉へ、次のボランティアに行ってるんですから。
困ってる、同じ日本人を助けてるんですから。
人を想える人間になろう。
ばかでもいい。
泣いてもいい。
優しくあれ。
人の為に優しくできる人であれ。
理稀君がんばった!
警察の方、ボランティアの方、本当にお疲れ様でした。
本当によかった。感動した。